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最上義光公の祭りから花笠祭りへ@

 

最上義光は、「よしあき」と呼び、義光祭りは、「ギョウコウ祭り」と呼んでいた。
最上義光公の400年祭りが、2013年にあったが、300年祭り(大正2年)があった翌年から、その事業の一環として仮装行列をやっていたようだ。
戦中一時中止していたが昭和22年に「商工祭」として復活し、昭和37年まで続いた。
校内にあった学寮は、300名近い寮生がいたので、少し生活が落ち着いてきた昭和30年の始めごろから、その仮装行列に参加したものと思われる。優勝経験もあり、その時は、多額の賞金をいただいたようだ。
昭和38年から、花笠まつりパレードに変わった。理由はモータリゼーションの影響で市内パレードが難しくなったとしているが、当時の山形新聞の服部社長が、青森の「ねぶた」、仙台の「七夕」、秋田の「竿灯」などから、市当局や関連団体を巻き込んで変えたようだ。
最盛期は、昭和40年代で、それから比較すると最近は行列の長さや提灯の数は減っているようだ。
山形大学は、小白川の本部を中心に「連」を作って参加している。
現在山大には、「四面楚歌」というサークルがある。部員は100数十名いるという。このグループも祭りに参加しているようだ。今回、義光祭り〜花笠まつりへの変遷と山形大学が関係してきた写真集を3回に分けて掲載することとした。

第1回目としては、義光祭りと学寮の仮装行列を主な題材とし、初期の花笠まつりまでを掲載した。
     
戦後「商工祭」として復活し、市内の様々な団体が仮装行列に参加した。
これらの写真は、昭和30年前後の市内団体の写真と思われる。
     
     
     
昭和32・3年ごろのものと思われる。当時はまだ、カメラを持っている学生はきわめて少なく、写真もあまりない。毎年物価も上昇し、苦しい時代であったが、寮生が昭和30年の始めごろから、仮装行列に参加していったものと思われる。  

昭和34年10月16日の仮装行列で、当時の1年生、2年生である。当時は、工学部・農学部の人も1年間は学寮にいたので、その方たちも見られる。

昭和35年の仮装で、この年は1等賞を取った。その仮装の写真である。

学寮の仮装行列の写真集めましたが、これだけです。昭和34年、35年と明記した以外の写真、何年のものか分かる方がいたら教えてください。また別な写真(新・旧学寮時代の仮装以外を含め)のある方は、事務所にご連絡し、お貸しくださると何らかの形でHPで紹介します。  

仮装行列から花笠まつりへ
 花笠まつりのパレードが始まった。この写真は一般市民が踊りに参加した最初の1枚である。男性はズボンにワイシャツ、女性は、浴衣姿で花笠を持って踊っている。(昭和38年8月8日:山形銀行前)    昭和40年から「山形花笠まつり」8月5日〜7日の3日間開催されることになった。
東北4大祭りとして太鼓の音がなりひびく中、花笠を手にした踊り子たちが華麗に舞い踊りながら、一大絵巻のように見えたという。(平成20年の初め) 平成25年パレードが始まって51年目である。